どうしようもないこと

ジャニーズ/二次元に生きている20代後半女

SMAPの熱烈なファンですが、真相なんてこの際どうでもいいんですよ

1月の解散報道後に書いて、騒動が落ち着きをみせていた頃に一旦下げていた記事を、再度投稿します。

今の率直な気持ちは、本当に現実であるのか、まだ受け止めきれていないので、後日あらためて書きたいと思います。




 さて。2016年1月19日火曜日の、午前5時50分です。
 昨夜放送されたフジテレビSMAP×SMAPは、各方面でこの数日、世間を賑わせた大スキャンダルの収束になるのではと期待されていましたが、このネットが広く普及した時代に、あまりにも視聴者をばかにしたお粗末なものでした。



"「公開処刑」"

 番組が終わったあと、Twitterを開けばとにかくよく目立った言葉が「公開処刑」という言葉でした。
 ネットでは近頃よく使われる言葉ではありますが、これほど彼らの会見の薄気味悪さを表した適切な言葉はないのではと感心するほどです。
 SMAPというモンスターグループを、長くみている人(熱烈なファンでなかったとしても)なら、おそらく彼らが問題が明るみに出た13日から週末をまたいだ月曜日のSMAP×SMAPで何かしらのコメントを出すだろうということは容易に想像できたのではないでしょうか。
 ただファンをはじめとする視聴者がどこか裏切られたような、失望したような、悲壮な気持ちになったのは、待ちに待った彼らの姿が、私たちの知るSMAPとはひどくかけ離れていたからです。
 だから、間違いなく、私たちは"裏切られた"のです。



"真実や諸悪がどこにあるのかなんてどうでもいい"

 この問題が世間の目に触れるところになってから、はたして諸悪はどこにあるのか、何が真実なのかとひたすらに、あちらこちらで、とっちらかった報道がなされていたことに混乱し、ほとほと疲れました。
 はじめは何が真実で、誰が悪いのか、原因は何か、誰か、いつから、どうして、とぐるぐるネットのあらゆる記事を読みあさっては探して回りましたが、信頼できる一文はどこにもありませんでした。
 本人たちが何も語っていないのだから当然で、それは本人たちの口からでしか信じられないものです。
 ただ、ファンが知りたいのは「原因」でも「諸悪」でも、まして「真実」でもなく、ただ彼らが今後どうなるのかという「結果」だけです。
 メリー喜多川副社長でも、飯島女史でも、中居くん・稲垣くん・草彅くん・香取くんでも、木村くんでも、メディアでも。誰が諸悪でも、何が原因でも、真実がどこにあるのかなんて心底どうでもいい。
 ただ、彼らがこれからもSMAPであるのかどうか、それだけが知りたい。



"私たちは遅すぎたのだ"

 芸能リポーター井上公造氏は「契約の満了が3月だったら解散は不可避だった」と仰っていました。
 今回の会見をみて、私は直感的に「気づくのがあまりにも遅すぎたのだ」と感じました。
 この問題について知ることも、彼らの変化や、彼らを取り巻くものの不安を、気づくのが遅すぎた。私たちがこれを知るときには、SMAPはほとんど、瀕死の状態だった。知らされたのは危篤の報だけ。
 ああたぶん、もうSMAPはだめなんだなとファンなら誰でも感じたのではないでしょうか。あの5人の顔をみて、誰が死んで、誰を失って、彼らは悲しんでいるのだろうと考えました。
 おそらく死んだのはSMAPだ。



"会見の不気味さはどこからくるのか"

 あの会見を多くの人が「あれは彼らの言葉ではない」、「謝ってほしいわけじゃない」と、何かがおかしいと感じたはずです。
 一連の報道の通り、4人が事務所を離れようとしていて、木村くんだけが残ると決め、その分裂の危機に世論の後押しもあって存続となった。それが事実だとすれば、あの会見の場で中居くんではなく木村くんが中心いたことは当然であり、木村くんが口を切ったことも、あの場を締めたのもなんらおかしなことではない。
 深読みしようとすればいくらでも目につくことは見つかり、ネクタイだの、中居くんの手もとだの、木村くんの舌打ち、草彅くんの目線、香取くんの言葉が詰まったこと、いくらでもある。
 ただ視聴者が感じた、「おかしい」はそんな目に見て確かなことが原因ではないのです。彼らは何も語ってはいなかった。現状も、感情も、事実もなにひとつ。そう、感じさせる空気感こそが、異様だったのです。
 SMAPは空気だった。SMAP5人の空気感こそがSMAPであり、その空気感をファンは愛している。まさしく空気のように側にあり、なくてはならないものなのです。
 それを奪うことが彼らにとって、ファンにとってどれほど残酷で、非情で、おそろしいことか。
 昨夜のフジテレビ、今朝のメディアで伝えられていること、ほとんどが視聴者をあまりにもばかにしすぎている。あんなものを見せられて「よかったね」と思えるほど、これまでのSMAPを見てきた私たちはこの問題に対して素直にはなれない。
 あの会見が本当に彼らの望むものであったのか、そんなことはいくら詮索したところで彼らとその一部の関係者しかわからないことです。真実なんてどうでもいい。


 SMAPはどうなるのか、「存続」ではなく、「解散はしない」と安心できる日はいつになるのか。


 私は20年ほどSMAPのファンです。小学生の頃から母とコンサートに行き続けています。生まれてこの方、SMAPがいなかった日はありませんでした。
 スクープという形で今回の件が報道されてから、毎日どうしてもこみあげてくる涙は止まらず、気持ちが荒れて眠れない日も続きました。
 ただあの会見を見て、「信じよう」、「諦めちゃだめだ」、「応援しよう」と強く思い続けていた気持ちはポッキリ折れました。
 私たちの愛したSMAPは死んで、それでも彼らがSMAPであり続けようとするのなら、私はもう、それが個人的に納得できない形であろうと、空気感が異様だろうと、メディアがむちゃくちゃな報道を続けようと、何がおかしかろうと、誰が何と言おうと、彼らがまたSMAPとしてスポットライトの下で息を吹き返すか、あるいは新たにSMAPとして生きていこうとするさまを、私はただ見守ります。
 真実なんてものはどうでもいい。彼らの心がいまどうあるかということすら、この際どうでもいい。どうせわかりようがないんだから。
 だから彼らが私たちに誠実であろうとなかろうと、私たちは示していくしかない。



 「あのときはそんなこともあったね」、今まで乗り越えてきたことと同じように、そう言える日を願って。