どうしようもないこと

ジャニーズ/二次元に生きている20代後半女

SMAPは、わたしの半分だ

あのころの、まだまさか自分の身長が170センチ近くも伸びると思っていなかったころの、小さな私にとって、眼に映る世界で一番かっこいい男性は"キムタク"で、テレビの世界で一番輝いている人たちがSMAPだった。



ポケモン、コナン、金田一、ワンピース、遊戯王、ナルト、犬夜叉。その時代、夕方〜ゴールデンタイムに放送されていたアニメ以外の、バラエティや音楽番組、ドラマと、テレビの話題には、そのほとんどにSMAPの名前があったように思う。
今でも強烈に覚えているのが、赤ずきんチャチャのリーヤ、サタスマ慎吾ママめちゃイケSMAPライブ乱入、うたばんのメチャクチャなCG、ビューティフルライフフードファイト古畑任三郎、数えればきりがない。
学校の様々な行事でSMAPの曲が使われ、時には運動会のBGMとして、時にはリコーダーの演奏曲として、時には合唱曲として、時には給食の時間の校内放送として、私の世代には、ずっとSMAPと、SMAPの歌が近くにあった。


同世代の方ならわかるかもしれないけれど、
あの頃SMAPは、スポーツを頑張っている子も、音楽を習っている子も、本ばかり読んでいる子も、おしゃべりが好きな子も、芸人さんの真似事ばかりするお調子者な子も、オシャレ好きな子も、誰もが共通して話せる揺るぎないコンテンツだった。


私にとって、かっこいいの代名詞が"キムタク"であり、アイドルの代名詞がSMAPだった。
まだスマスマも夜更かしはダメだと見せてもらえなかったとき。それでもSMAPというグループと、メンバー全員の名前、森くんという人が脱退したこと、青いイナズマ・SHAKE・ダイナマイトを知らない同級生はいなかった。


そんな小学生のとき、何もわからずに「SMAPのライブ行く?」と母に訊かれ、なんとなく首を縦に振ったことが、すべての始まりだったと、歳を重ね、他のいろんなグループのライブに行くたびに、何度も回想する。


最初に行ったのは「S map tour」。ただそのときのことはあまりに衝撃的だったのか、よく覚えていない。

鮮烈に思い出せるのは「pamS tour」の、「ダイナマイト」、「KANSHAして」での合いの手の一体感。自分もその一部であることの感動。黒地にピンクのリストバンドを、夏休み中ずっと身につけ、自慢したくてこっそり学校に持って行ったこと。

Drink! Smap! tour」では、いつも母と行く馴染みのスーパーに、ドリスマのパッケージの缶ジュースが並んでいたこと。せがんで買ってもらったそれが好みの味ではなく、一口飲んで残りを母に押し付けたこと。
真夏の西宮スタジアムの目眩がしそうな暑さ。「オレンジ」で、空が同じ色に染まっていたこと。歌詞の意味さえわかっていなかったのに、じわりと涙が滲んだこと。

「MIJ tour」では、初めてのアリーナ席。センターステージの真ん前。通路側にいたはずの母が、いつの間にか知らないお姉さんに変わっていて、驚いて探してみれば、通路側のお客さんがあまりの熱狂に一列ずつ前にずれこんでいたこと。トイレットペッパーマン。アンコールの「世界に一つだけの花」、白い衣装で5人等間隔に並んだポールの上で歌う姿が、見上げる子どもの私には何か神聖なもののように見えていた。



細部まですべて記憶していなくても、子ども心に焼きついた思い出はいくらでもある。



最近では、私が母を連れ出して、ライブに参加していた。
私の手を取って「はぐれないように」と引っ張ってくれた母も歳をとり、あまりの興奮に列をひとつ前に移動したことにも気がつかないくらい熱狂していたというのに、最近は疲れたら座り、立ちあがっては手を振り声を出し、無理せずに最大限にライブを楽しむ術を身につけていた。
私も母と同じようなペースでライブを楽しむようになった。


「Mr.S tour」で、ふと前列に全身ライブグッズを身につけた中学生くらいの男の子が、ライブ中ずっと立っていることに気がついた。
「若いな〜元気だな〜」と微笑ましく思っていたら、彼はずっと、ライブのセットリストすべての曲を口ずさんでいたのだった。
はっとして通路を挟んで隣の席の、小学校低学年くらいの女の子を見ると、合いの手も完璧だった。なんの邪念もなく、ただひたすらにキラキラと目を輝かせているその姿をみて、あらためて、私も歳を取ってしまったんだなと感慨深く思った。
彼らはかつての自分の姿そのもののように見え、こうやってSMAPのファンは紡がれていくものなのだと目の当たりにしたような気がした。



SMAPは終わらないものだと頑なに信じていた私は、大阪にずっと住んでいるのに、行きたい行きたいと思いながらも、5人旅で彼らが訪れたお好み焼き屋さんに未だ足を運べていない。

「いつか」、「そのうち」、なんてものは、突如として眼前にあらわれるのだということを、この8ヶ月足らずで、痛いほど思い知った。



終わらないことを目指し、終わらないことを体現し続けてきたSMAPの、終わりを見る日がくるなんて思いもしなかった、なんて今はとてもじゃないが笑い話にもできない。



私は、受け取り方のひとつとして、SMAPは終わらなくてはならないものとして、終わってしまうのではないだろうかと、思い至った。
"アイドル"という存在の期限を、寿命を延ばし続けてきたSMAPも、2017年1月31日の香取くんの誕生日を以って全メンバーが40代になる。
果たして、"アイドル"とは本当にグループを解散しない限り、辞めますと宣言しない限り、"アイドル"で居続けることができるのだろうか。
仮にSMAPSMAPであり続ける限り、"アイドル"の期限は延び続けるのだとして、これまでどんなアイドルグループも成し得なかった伝説を数多く築き上げてきたSMAPが、真物の伝説となる日は、いつなのだろうか。
今まであらゆるスターが"殿堂入り"ではなく、後世に語り継がれる真物の"伝説"となったのは、いったいどこが起点なのか。
それはあらゆる形の「終わり」であったのではないかと、私は思ってしまう。
SMAPにもとうとうその時が来てしまったのかもしれないと、思わずにいられない。


それが誰かの目論見であるのか、大きな流れに仕向けられたのか、彼ら自身の意思であるのか、まったく他の原因が積み重なった結果であったのか、何もわからない。
ただ、あまりに突然、あまりに無粋な解散への道筋、メディアは彼らが解散という結論を出し「残念でならない」と言いながらもまだメンバー個人への下品な侮辱を続けている。
そんな中で、「今までありがとう」、「たくさんの幸せをありがとう」、「さようなら」とどうしても言いたくないファンは、いったいどうすれば良いのだろう。



SMAPが全員で話し合い、前向きに個人活動へシフトしたいと合意し、そのためにグループは解散する」と今までどんな時もそうであったように、彼ら自身の言葉で、顔を見せてはっきりと告げてくれたなら、きっとこんなに言いようもない気持ちの悪さを感じることも、ほとんど拒絶に近い「諦めたくない!」なんて気持ちもなかっただろう。



SMAPは私の、人生の半分だ。



どうして、「今までたくさんの幸せをありがとう」その一言すら、
もらったたくさんの気持ちに対しての感謝すら、
あの眩いきらめきの中にいた笑顔への思い出すら、
いったい何ものによって、奪われてしまうんだろう。


私の世界で、一番カッコいい男に、「本当に、ごめん」なんてあんな沈んだ声で、お願いだから、言わせないで。