どうしようもないこと

ジャニーズ/二次元に生きている20代後半女

誰にとって、どうして、SMAPは

この世に永遠なんてない。終わりは、喪失は必ずやってくる。
栄華を極めれば衰退が待っているのは必然で、一生同じ場所に同じ形で在り続けることなんて不可能だ。
だから必ず、それも、そう遠くないうちに、こんな日がくることもきっとわかっていた。
でもまさか、こんなに突然、それもこんなにむごたらしい形で、終わりがくるなんて思ってもいなかった。


あの5人の顔をみて、誰が死んで、誰を失って、彼らは悲しんでいるのだろうと考えました。  おそらく死んだのはSMAPだ。


やっぱりあの時にはもう、SMAPは危篤状態だったのだと、どこかしみじみと感じた。
この数ヶ月、彼らを取り巻く空気感が明らかに異常であったのみていて、半ば祈るように信じるより遥かに不安が勝っていた。


報道が出てすぐに、何を考えつくよりも先に、Pop Up SMAP!を開き、確かめるように「STAY」をみた。
今から10年も前の、こんなことが起こるとは想像もしていなかったころの映像をみて、子どものように声をあげて泣きじゃくった。

哀しい、悔しい、虚しい、腹立たしい、それより、何より、淋しい。
淋しくて淋しくて仕方がない。
大げさだと呆れられるかもしれない。
けれど、これから先、どう前向きに生きていけばいいのか、今の私にはまったくわからない。

SMAPのいない世界で心から笑っている自分をぼんやりと想像しては、そのうちSMAPを好きな気持ちすら忘れ、他に愛せるものを見つけて、たまに思い出しては彼らを懐かしむだろう自分が、半ば許せないような気持ちで、本当にこわい。恐ろしい。
こんな無惨で稚拙な解散劇をみせられて、同事務所の他のグループの活動を今後どういう姿勢で応援していけばいいのかも、わからない。
それよりもっと、解散が発表された今でもまだ、SMAPの5人がSMAPでなくなり、SMAPという名は失われ、これからは過去となっていくさまを、まったく想像できない。


誰にとって、どうしてSMAPは消えなければならない存在だったのだろう。


この数日、夜に一人になるとずっとDVDや映像音楽を見て聴いて、大人としてみっともないほど息苦しさに喘いで声をあげて泣いている。
仕事場では私がSMAPのファンだと知っていて好奇心だけで冷やかされる言葉に傷ついて、それでも笑って受け流して、また家に帰って泣く、それをくり返していたけれど、頭で理解していることと、感情のベクトルがこうも違うと、本当に身を削られるようにつらい。

Twitterを開いてみると、「諦めたくない」、「華麗なる逆襲を」とワッツやサムガの2TOPの言葉を信じ、踏ん張っているファンの方々のツイートがとても多いことに、ますます肩が落ちる。
私も気持ちは同じだ。どうしたって諦めたくない。中居くんの、拓哉さんの、吾郎ちゃんの、つよぽんの、慎吾ちゃんの言葉だけを信じたい。
ただ、踏ん張った膝さえも折られてしまったら、今度こそ立ち直れなくなるのが怖くて、なかなか前を向けないでいる。
そんな自分が情けなくて、更に立ち上がれなくなる。

SMAPというグループのファンであることを誇りに思える、思わせてくれる、SMAPの5人、彼らを支えてくださる関係者の方々、ライブ会場に足を運ぶたびに姿勢を学ばせてくれるファンの皆さんが、私の自慢であり、本当に大事なもの。



怖くはないですか。
恐ろしくはないですか。
不安ではないですか。
眠れないことはありませんか。
無性に涙がこみ上げることはありませんか。

ただひたすらに信じて「前に!」「ススメ!」なんて、今はまだ言葉にできない私は、SMAPのファンとして失格ではありませんか。