どうしようもないこと

ジャニーズ/二次元に生きている20代後半女

SMAP25周年 おめでとう。

25周年。心から、おめでとうございます。


25年前、1991年に起きたことを調べてみると、
東京都庁が新宿に開庁・電話番号が10桁になり・宮沢りえさんの「Santa Fe」が発売された年だった。


そのうちの何一つとして、終わりを迎えてはいない。
都庁は新宿にそびえ立っているし、電話番号は10桁のまま、宮沢りえさんはますます活躍なさっている。
1991年の出来事を調べると、いくつかのサイトで「SMAPがデビュー」と記されていた。
胸を裂かれるような思いだった。



前回の記事で、SMAPは私の半分だと書いた。

あらためて、SMAPのいろんな楽曲を聴いてみると、どうしようもない重さの、自分の力だけでは抗えないような大きなうねりの中に飲み込まれても、希望が僅かでも、前に進もうと歌う5人の声があった。

そのうち一曲、私にとって切り離せない曲がある。



私がSMAPの楽曲の中で一番思い入れのある曲で、思春期の、自分という器にいろんな限界を感じ始めていたころの、言葉にできない不安を救ってくれた。
『見果てぬ地へ思い馳せては 力だけを求め続けてた
幼い心を鼓舞して 夢見て』
『過ぎ去りしDays 駆け抜けたWays
憧れ 泣いた あの夢は誰が手に入れたのだろう?』
大人になって、一生の仕事にしたいと決めガムシャラに頑張っていた職も身体を壊してできなくなり、燃え尽きて食事も取れなくなったころ、しばらく毎日聴き続けた。
数ヶ月自宅に引きこもり続けて、体重も10キロ減り、ふと思い立って外に出たくなった夏の日の夕方、自転車で無我夢中に走りながらこの曲を聴いて号泣した。

シングル曲でもない、ファン投票のランキングでも上位に入らない、それでも私はこの曲のイントロを聴くと、未だに肌が粟立つ。


そんな曲を、一生に一度の出会いをした曲を、自分の手足の短さも、頭の小ささも、世界の広さも知らなかったころからライブに足を運んでいたSMAPが歌っていたことを、心から感謝している。
あの6人が集まったこと、ひとりが欠けて5人になってもこの日まで彼らが彼らであったこと、同じ時代に生まれ、SMAPのファンになったこと、すべてが運命だとすら感じる。



世間に大声で誇れるアイデンティティーなんてひとつも持たない、普通の、ただの、何の才能もない、つまらない人間でしかない私でも、
SMAPを愛している自分だけは、誇れる自分だ。
SMAPこそが、私にとって運命の人たちだった。何の根拠も理屈も、飾り気も面白みもなくても、はっきりと言える。
憧れ泣いた夢も、他の何を手に入れられなくても、彼らと出会えた人生が、私の幸福そのものだった。




たったの50年、どうか一緒にいさせてください。



SMAPは、わたしの半分だ

あのころの、まだまさか自分の身長が170センチ近くも伸びると思っていなかったころの、小さな私にとって、眼に映る世界で一番かっこいい男性は"キムタク"で、テレビの世界で一番輝いている人たちがSMAPだった。



ポケモン、コナン、金田一、ワンピース、遊戯王、ナルト、犬夜叉。その時代、夕方〜ゴールデンタイムに放送されていたアニメ以外の、バラエティや音楽番組、ドラマと、テレビの話題には、そのほとんどにSMAPの名前があったように思う。
今でも強烈に覚えているのが、赤ずきんチャチャのリーヤ、サタスマ慎吾ママめちゃイケSMAPライブ乱入、うたばんのメチャクチャなCG、ビューティフルライフフードファイト古畑任三郎、数えればきりがない。
学校の様々な行事でSMAPの曲が使われ、時には運動会のBGMとして、時にはリコーダーの演奏曲として、時には合唱曲として、時には給食の時間の校内放送として、私の世代には、ずっとSMAPと、SMAPの歌が近くにあった。


同世代の方ならわかるかもしれないけれど、
あの頃SMAPは、スポーツを頑張っている子も、音楽を習っている子も、本ばかり読んでいる子も、おしゃべりが好きな子も、芸人さんの真似事ばかりするお調子者な子も、オシャレ好きな子も、誰もが共通して話せる揺るぎないコンテンツだった。


私にとって、かっこいいの代名詞が"キムタク"であり、アイドルの代名詞がSMAPだった。
まだスマスマも夜更かしはダメだと見せてもらえなかったとき。それでもSMAPというグループと、メンバー全員の名前、森くんという人が脱退したこと、青いイナズマ・SHAKE・ダイナマイトを知らない同級生はいなかった。


そんな小学生のとき、何もわからずに「SMAPのライブ行く?」と母に訊かれ、なんとなく首を縦に振ったことが、すべての始まりだったと、歳を重ね、他のいろんなグループのライブに行くたびに、何度も回想する。


最初に行ったのは「S map tour」。ただそのときのことはあまりに衝撃的だったのか、よく覚えていない。

鮮烈に思い出せるのは「pamS tour」の、「ダイナマイト」、「KANSHAして」での合いの手の一体感。自分もその一部であることの感動。黒地にピンクのリストバンドを、夏休み中ずっと身につけ、自慢したくてこっそり学校に持って行ったこと。

Drink! Smap! tour」では、いつも母と行く馴染みのスーパーに、ドリスマのパッケージの缶ジュースが並んでいたこと。せがんで買ってもらったそれが好みの味ではなく、一口飲んで残りを母に押し付けたこと。
真夏の西宮スタジアムの目眩がしそうな暑さ。「オレンジ」で、空が同じ色に染まっていたこと。歌詞の意味さえわかっていなかったのに、じわりと涙が滲んだこと。

「MIJ tour」では、初めてのアリーナ席。センターステージの真ん前。通路側にいたはずの母が、いつの間にか知らないお姉さんに変わっていて、驚いて探してみれば、通路側のお客さんがあまりの熱狂に一列ずつ前にずれこんでいたこと。トイレットペッパーマン。アンコールの「世界に一つだけの花」、白い衣装で5人等間隔に並んだポールの上で歌う姿が、見上げる子どもの私には何か神聖なもののように見えていた。



細部まですべて記憶していなくても、子ども心に焼きついた思い出はいくらでもある。



最近では、私が母を連れ出して、ライブに参加していた。
私の手を取って「はぐれないように」と引っ張ってくれた母も歳をとり、あまりの興奮に列をひとつ前に移動したことにも気がつかないくらい熱狂していたというのに、最近は疲れたら座り、立ちあがっては手を振り声を出し、無理せずに最大限にライブを楽しむ術を身につけていた。
私も母と同じようなペースでライブを楽しむようになった。


「Mr.S tour」で、ふと前列に全身ライブグッズを身につけた中学生くらいの男の子が、ライブ中ずっと立っていることに気がついた。
「若いな〜元気だな〜」と微笑ましく思っていたら、彼はずっと、ライブのセットリストすべての曲を口ずさんでいたのだった。
はっとして通路を挟んで隣の席の、小学校低学年くらいの女の子を見ると、合いの手も完璧だった。なんの邪念もなく、ただひたすらにキラキラと目を輝かせているその姿をみて、あらためて、私も歳を取ってしまったんだなと感慨深く思った。
彼らはかつての自分の姿そのもののように見え、こうやってSMAPのファンは紡がれていくものなのだと目の当たりにしたような気がした。



SMAPは終わらないものだと頑なに信じていた私は、大阪にずっと住んでいるのに、行きたい行きたいと思いながらも、5人旅で彼らが訪れたお好み焼き屋さんに未だ足を運べていない。

「いつか」、「そのうち」、なんてものは、突如として眼前にあらわれるのだということを、この8ヶ月足らずで、痛いほど思い知った。



終わらないことを目指し、終わらないことを体現し続けてきたSMAPの、終わりを見る日がくるなんて思いもしなかった、なんて今はとてもじゃないが笑い話にもできない。



私は、受け取り方のひとつとして、SMAPは終わらなくてはならないものとして、終わってしまうのではないだろうかと、思い至った。
"アイドル"という存在の期限を、寿命を延ばし続けてきたSMAPも、2017年1月31日の香取くんの誕生日を以って全メンバーが40代になる。
果たして、"アイドル"とは本当にグループを解散しない限り、辞めますと宣言しない限り、"アイドル"で居続けることができるのだろうか。
仮にSMAPSMAPであり続ける限り、"アイドル"の期限は延び続けるのだとして、これまでどんなアイドルグループも成し得なかった伝説を数多く築き上げてきたSMAPが、真物の伝説となる日は、いつなのだろうか。
今まであらゆるスターが"殿堂入り"ではなく、後世に語り継がれる真物の"伝説"となったのは、いったいどこが起点なのか。
それはあらゆる形の「終わり」であったのではないかと、私は思ってしまう。
SMAPにもとうとうその時が来てしまったのかもしれないと、思わずにいられない。


それが誰かの目論見であるのか、大きな流れに仕向けられたのか、彼ら自身の意思であるのか、まったく他の原因が積み重なった結果であったのか、何もわからない。
ただ、あまりに突然、あまりに無粋な解散への道筋、メディアは彼らが解散という結論を出し「残念でならない」と言いながらもまだメンバー個人への下品な侮辱を続けている。
そんな中で、「今までありがとう」、「たくさんの幸せをありがとう」、「さようなら」とどうしても言いたくないファンは、いったいどうすれば良いのだろう。



SMAPが全員で話し合い、前向きに個人活動へシフトしたいと合意し、そのためにグループは解散する」と今までどんな時もそうであったように、彼ら自身の言葉で、顔を見せてはっきりと告げてくれたなら、きっとこんなに言いようもない気持ちの悪さを感じることも、ほとんど拒絶に近い「諦めたくない!」なんて気持ちもなかっただろう。



SMAPは私の、人生の半分だ。



どうして、「今までたくさんの幸せをありがとう」その一言すら、
もらったたくさんの気持ちに対しての感謝すら、
あの眩いきらめきの中にいた笑顔への思い出すら、
いったい何ものによって、奪われてしまうんだろう。


私の世界で、一番カッコいい男に、「本当に、ごめん」なんてあんな沈んだ声で、お願いだから、言わせないで。

誰にとって、どうして、SMAPは

この世に永遠なんてない。終わりは、喪失は必ずやってくる。
栄華を極めれば衰退が待っているのは必然で、一生同じ場所に同じ形で在り続けることなんて不可能だ。
だから必ず、それも、そう遠くないうちに、こんな日がくることもきっとわかっていた。
でもまさか、こんなに突然、それもこんなにむごたらしい形で、終わりがくるなんて思ってもいなかった。


あの5人の顔をみて、誰が死んで、誰を失って、彼らは悲しんでいるのだろうと考えました。  おそらく死んだのはSMAPだ。


やっぱりあの時にはもう、SMAPは危篤状態だったのだと、どこかしみじみと感じた。
この数ヶ月、彼らを取り巻く空気感が明らかに異常であったのみていて、半ば祈るように信じるより遥かに不安が勝っていた。


報道が出てすぐに、何を考えつくよりも先に、Pop Up SMAP!を開き、確かめるように「STAY」をみた。
今から10年も前の、こんなことが起こるとは想像もしていなかったころの映像をみて、子どものように声をあげて泣きじゃくった。

哀しい、悔しい、虚しい、腹立たしい、それより、何より、淋しい。
淋しくて淋しくて仕方がない。
大げさだと呆れられるかもしれない。
けれど、これから先、どう前向きに生きていけばいいのか、今の私にはまったくわからない。

SMAPのいない世界で心から笑っている自分をぼんやりと想像しては、そのうちSMAPを好きな気持ちすら忘れ、他に愛せるものを見つけて、たまに思い出しては彼らを懐かしむだろう自分が、半ば許せないような気持ちで、本当にこわい。恐ろしい。
こんな無惨で稚拙な解散劇をみせられて、同事務所の他のグループの活動を今後どういう姿勢で応援していけばいいのかも、わからない。
それよりもっと、解散が発表された今でもまだ、SMAPの5人がSMAPでなくなり、SMAPという名は失われ、これからは過去となっていくさまを、まったく想像できない。


誰にとって、どうしてSMAPは消えなければならない存在だったのだろう。


この数日、夜に一人になるとずっとDVDや映像音楽を見て聴いて、大人としてみっともないほど息苦しさに喘いで声をあげて泣いている。
仕事場では私がSMAPのファンだと知っていて好奇心だけで冷やかされる言葉に傷ついて、それでも笑って受け流して、また家に帰って泣く、それをくり返していたけれど、頭で理解していることと、感情のベクトルがこうも違うと、本当に身を削られるようにつらい。

Twitterを開いてみると、「諦めたくない」、「華麗なる逆襲を」とワッツやサムガの2TOPの言葉を信じ、踏ん張っているファンの方々のツイートがとても多いことに、ますます肩が落ちる。
私も気持ちは同じだ。どうしたって諦めたくない。中居くんの、拓哉さんの、吾郎ちゃんの、つよぽんの、慎吾ちゃんの言葉だけを信じたい。
ただ、踏ん張った膝さえも折られてしまったら、今度こそ立ち直れなくなるのが怖くて、なかなか前を向けないでいる。
そんな自分が情けなくて、更に立ち上がれなくなる。

SMAPというグループのファンであることを誇りに思える、思わせてくれる、SMAPの5人、彼らを支えてくださる関係者の方々、ライブ会場に足を運ぶたびに姿勢を学ばせてくれるファンの皆さんが、私の自慢であり、本当に大事なもの。



怖くはないですか。
恐ろしくはないですか。
不安ではないですか。
眠れないことはありませんか。
無性に涙がこみ上げることはありませんか。

ただひたすらに信じて「前に!」「ススメ!」なんて、今はまだ言葉にできない私は、SMAPのファンとして失格ではありませんか。

SMAPの熱烈なファンですが、真相なんてこの際どうでもいいんですよ

1月の解散報道後に書いて、騒動が落ち着きをみせていた頃に一旦下げていた記事を、再度投稿します。

今の率直な気持ちは、本当に現実であるのか、まだ受け止めきれていないので、後日あらためて書きたいと思います。




 さて。2016年1月19日火曜日の、午前5時50分です。
 昨夜放送されたフジテレビSMAP×SMAPは、各方面でこの数日、世間を賑わせた大スキャンダルの収束になるのではと期待されていましたが、このネットが広く普及した時代に、あまりにも視聴者をばかにしたお粗末なものでした。



"「公開処刑」"

 番組が終わったあと、Twitterを開けばとにかくよく目立った言葉が「公開処刑」という言葉でした。
 ネットでは近頃よく使われる言葉ではありますが、これほど彼らの会見の薄気味悪さを表した適切な言葉はないのではと感心するほどです。
 SMAPというモンスターグループを、長くみている人(熱烈なファンでなかったとしても)なら、おそらく彼らが問題が明るみに出た13日から週末をまたいだ月曜日のSMAP×SMAPで何かしらのコメントを出すだろうということは容易に想像できたのではないでしょうか。
 ただファンをはじめとする視聴者がどこか裏切られたような、失望したような、悲壮な気持ちになったのは、待ちに待った彼らの姿が、私たちの知るSMAPとはひどくかけ離れていたからです。
 だから、間違いなく、私たちは"裏切られた"のです。



"真実や諸悪がどこにあるのかなんてどうでもいい"

 この問題が世間の目に触れるところになってから、はたして諸悪はどこにあるのか、何が真実なのかとひたすらに、あちらこちらで、とっちらかった報道がなされていたことに混乱し、ほとほと疲れました。
 はじめは何が真実で、誰が悪いのか、原因は何か、誰か、いつから、どうして、とぐるぐるネットのあらゆる記事を読みあさっては探して回りましたが、信頼できる一文はどこにもありませんでした。
 本人たちが何も語っていないのだから当然で、それは本人たちの口からでしか信じられないものです。
 ただ、ファンが知りたいのは「原因」でも「諸悪」でも、まして「真実」でもなく、ただ彼らが今後どうなるのかという「結果」だけです。
 メリー喜多川副社長でも、飯島女史でも、中居くん・稲垣くん・草彅くん・香取くんでも、木村くんでも、メディアでも。誰が諸悪でも、何が原因でも、真実がどこにあるのかなんて心底どうでもいい。
 ただ、彼らがこれからもSMAPであるのかどうか、それだけが知りたい。



"私たちは遅すぎたのだ"

 芸能リポーター井上公造氏は「契約の満了が3月だったら解散は不可避だった」と仰っていました。
 今回の会見をみて、私は直感的に「気づくのがあまりにも遅すぎたのだ」と感じました。
 この問題について知ることも、彼らの変化や、彼らを取り巻くものの不安を、気づくのが遅すぎた。私たちがこれを知るときには、SMAPはほとんど、瀕死の状態だった。知らされたのは危篤の報だけ。
 ああたぶん、もうSMAPはだめなんだなとファンなら誰でも感じたのではないでしょうか。あの5人の顔をみて、誰が死んで、誰を失って、彼らは悲しんでいるのだろうと考えました。
 おそらく死んだのはSMAPだ。



"会見の不気味さはどこからくるのか"

 あの会見を多くの人が「あれは彼らの言葉ではない」、「謝ってほしいわけじゃない」と、何かがおかしいと感じたはずです。
 一連の報道の通り、4人が事務所を離れようとしていて、木村くんだけが残ると決め、その分裂の危機に世論の後押しもあって存続となった。それが事実だとすれば、あの会見の場で中居くんではなく木村くんが中心いたことは当然であり、木村くんが口を切ったことも、あの場を締めたのもなんらおかしなことではない。
 深読みしようとすればいくらでも目につくことは見つかり、ネクタイだの、中居くんの手もとだの、木村くんの舌打ち、草彅くんの目線、香取くんの言葉が詰まったこと、いくらでもある。
 ただ視聴者が感じた、「おかしい」はそんな目に見て確かなことが原因ではないのです。彼らは何も語ってはいなかった。現状も、感情も、事実もなにひとつ。そう、感じさせる空気感こそが、異様だったのです。
 SMAPは空気だった。SMAP5人の空気感こそがSMAPであり、その空気感をファンは愛している。まさしく空気のように側にあり、なくてはならないものなのです。
 それを奪うことが彼らにとって、ファンにとってどれほど残酷で、非情で、おそろしいことか。
 昨夜のフジテレビ、今朝のメディアで伝えられていること、ほとんどが視聴者をあまりにもばかにしすぎている。あんなものを見せられて「よかったね」と思えるほど、これまでのSMAPを見てきた私たちはこの問題に対して素直にはなれない。
 あの会見が本当に彼らの望むものであったのか、そんなことはいくら詮索したところで彼らとその一部の関係者しかわからないことです。真実なんてどうでもいい。


 SMAPはどうなるのか、「存続」ではなく、「解散はしない」と安心できる日はいつになるのか。


 私は20年ほどSMAPのファンです。小学生の頃から母とコンサートに行き続けています。生まれてこの方、SMAPがいなかった日はありませんでした。
 スクープという形で今回の件が報道されてから、毎日どうしてもこみあげてくる涙は止まらず、気持ちが荒れて眠れない日も続きました。
 ただあの会見を見て、「信じよう」、「諦めちゃだめだ」、「応援しよう」と強く思い続けていた気持ちはポッキリ折れました。
 私たちの愛したSMAPは死んで、それでも彼らがSMAPであり続けようとするのなら、私はもう、それが個人的に納得できない形であろうと、空気感が異様だろうと、メディアがむちゃくちゃな報道を続けようと、何がおかしかろうと、誰が何と言おうと、彼らがまたSMAPとしてスポットライトの下で息を吹き返すか、あるいは新たにSMAPとして生きていこうとするさまを、私はただ見守ります。
 真実なんてものはどうでもいい。彼らの心がいまどうあるかということすら、この際どうでもいい。どうせわかりようがないんだから。
 だから彼らが私たちに誠実であろうとなかろうと、私たちは示していくしかない。



 「あのときはそんなこともあったね」、今まで乗り越えてきたことと同じように、そう言える日を願って。

ジャニオタ=理想が高いってそろそろやめませんかね

①ジャニオタ
②彼氏がいない
③特に欲しいとも思っていない
④危機感はない
⑤ジャニーズだけで十分楽しい
⑥20代半ば過ぎている


と、これだけ揃えば十中八九、少なくとも私の経験上はまず間違いなく「理想が高いんじゃない?」と言われる。
そのたびに「ジャニーズが好きだからといって理想が高いわけではない」と反論するが、とにかくその言い分が理解されないことが、とても、ひじょうに、信じられないほど多い。

うるせークソ馬鹿野郎 サッ帰ーれ!帰ーれ!

そう言ってクラップハンズできればどれほどスッキリするだろう……
その上、出会いを求めて精力的に活動するほど彼氏が欲しいとも思っていないと言うと、「それは強がっているだけだ」「プライドが高いんだろう」と重ねて言われる。
そのたびに呆れと憤りと虚しさとでどっと疲れる。心がずーんと重くなる。
ばかばかしくなって、とにかく早く家に帰って録画しているジャニーズが出演しているドラマやバラエティを見ながら缶ビールを煽りたくてたまらなくなる。


私には、そもそもなぜ比べようと思えるのかが心底不思議で仕方がない。
オーランド・ブルームが好きだから出演作をすべてチェックして、来日する機会があれば空港に行き、プレミアにも色紙を持って参加するといえば、外国人(それも白人でイギリス出身で身長が180cm以上)が好きで日本人はまったく眼中にないということになるのか?
勿論、なかにはそういった人もいるだろうが、あまりに安直すぎやしないだろうか。

私はそろそろ、いや、もうすっかり、うんざりしている。
恐らく、20代後半に差し掛かっていて現在恋愛関係にある特定のお相手がいない+何かしらに夢中になっている女性であれば、1度や2度、あるいは私のように呆れるほどくり返されてほとほと疲れている人もいるのではないだろうか。
そうなればおのずと自分の好きなものを周囲に隠して過ごすことになる。私は今のところジャニオタを隠してはいないが、アニオタであることはひた隠しにしている。
ジャニオタで上記のようなことを言われる世の中、その上重度のアニオタだなんてカミングアウトしようものならきっと何かしらのレッテルを貼られること間違いなしだ。


余談だが、好きな歌手は?と訊かれてジャニーズですと答えると、どのグループが好きなの?誰が好きなの?と矢継ぎ早に問われ、律儀に答えたにもかかわらず「へえ〜」だけで済ませる輩の多いこと山の如しである。興味ないんやったらいちいち聞くなや。
あと当然事務所推しなので特にどのグループがとは訊かれない限り自分からは言わないが、あえていうならFCに入っているSMAP、V6、KAT-TUN、Hey!Say!JUMP、山下智久を挙げると「嵐は?」と、「ジャニーズ好きなのに嵐好きじゃないの?そんなことってこの現代日本においてあり得るの?」くらいの温度で訊かれることも非常に多い。お前に突っ込まれるまでもなくデビュー以前からの二宮担やっちゅーねんさっさと家に帰ってママのおっぱいでも吸ってろや。
そこからの「彼氏いないんでしょ?欲しくないの?理想高すぎなんじゃない?」。反論するも納得されない。クソ馬鹿野郎と言うこともできずに家に帰ってジャニーズを鑑賞しながらビールを煽る。お決まりのルーティーンである。


話が大分逸れたが、この手の話は二次元でも飽きるほどあって、特定のキャラクターにとても思い入れがあるといえば、やれそんな人は現実にはいないだの、やれ平面の絵によくそんな思い入れがわくもんだ だのこき下ろされては、この人には私が二次元と現実の違いもわからないクレイジーサイコ野郎に見えているのかとぞっとする。いっそお前がクレイジーサイコ野郎だと心のなかであだ名をつける。
たとえば、もしこの「絶対に手の届かない存在に憧れもしくは愛情に近い感情がある=そういった存在に限りなく近い人(もしくはそのもの)でなければ愛せない」という論が正しいのであれば、ジャニオタでアニオタの私はもはや今すぐに分譲マンションを購入して老後の積み立てを始めなくてはならないお話である。そうなればもはやジャニオタでもアニオタでもいられない。それはもはや私ではない。死ねということか。

この点において以前どこかで「キャラクター(や作品)がどんなに好きで、心から愛していても、彼らは自分の人生の面倒をみてはくれない(からオタクをやめた)」という文章を目にしたことがある。
なるほどと肯く反面、のめり込んで周りが見えなくなってしまうタイプの人なら致し方ないかもしれないが、キャラクター(ジャニーズアイドル)を心から愛していても、現実の恋愛はまた別のベクトルで十分並行し得るものだと思う。
むしろ、こういうものに損得や見返りを求めてしまった時点でダメなのだ。(ゆえにこの方はオタクを辞めるという選択に至ったのだろうが)


また、仮に私が担当の亀梨和也(現在、ジャニーズ内で最高のビジュアルを誇っていると思う)が理想の男性として譲れないのだとして、その容姿やスタイルによく似た男性と出会い、運良く好意を抱かれたとして、私が主張したいのが、

「でもその人は亀梨和也じゃないじゃん?」

という点である。
私が本当にジャニオタであるがゆえに美しい容姿の男性を好み、現実にそういった男性があらわれることを心待ちにしているから彼氏ができないのだとすると、それはもうジャニオタだからとかそういう問題ではなく、ただの現実が見えていないバカな女という話だ。


20代後半で彼氏がいないジャニオタだというだけで「理想が高いんじゃない?」という筋違いな問いに私なりに反論するとすれば、
「あんた私が亀梨和也と付き合えると思ってんのか?」である。
相手にとって私という人間が己の身の丈をわきまえず、理想の相手をひたすらに追い求めるストイックな探求者、あるいは理想と現実の違いもわからない夢見がちなクレイジーサイコ野郎だと思われているなら話は別だが、それでだいたい相手は黙る。黙らせられる。
そこまで言ってもわからない相手にはいよいよ サッ帰ーれ!帰ーれ!とクラップハンズするしかない。

ちなみに私は幸の薄そうな一重のインテリっぽい人がタイプだ。おそらくジャニーズとは程遠い。